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大阪地方裁判所 昭和29年(ワ)281号 判決

原告 田村一芳 外五名

被告 和田義雄

主文

一、被告は、原告田村一芳に対し金八六、三五〇円、原告田中利雄及び雲川吉蔵に対しいずれも金四〇、一五〇円、原告田口カルに対し金二七、〇〇〇円、原告三谷八郎に対し金四六、五〇〇円、原告三栗庄太郎に対し金四三、一五〇円をそれぞれ支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、この判決は、原告田村一芳は金二一、〇〇〇円、原告田中利雄、雲川吉蔵及び三栗庄太郎は各金一〇、〇〇〇円、原告田口カルは金六、〇〇〇円、原告三谷八郎は金一一、〇〇〇円の各担保を供するときは、それぞれ仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は、主文第一、二項と同趣旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、請求の原因として次の通り述べた。

「別紙〈省略〉物件表記載の土地は、もと訴外下田俊一が所有し、現況畑地であるが、昭和一六年頃以降原告田村一芳が一反二畝一九歩同田口カルが五畝歩、同三谷八郎が四畝一〇歩、被告和田義雄が二反六畝歩、訴外和田繁雄が一反歩、同和田達雄が五畝歩に相当する各部分を夫々適法に耕作していた関係から、昭和一九年六月頃同地に陸軍高射砲陣地が設置されその耕作は一時中断せられたが終戦後右陣地廃止にともない、再びさきの六名が従前通りの面積を耕作することになり、昭和二〇年九月以降さらに原告田中利雄、同雲川吉蔵も各七畝一一歩、同三栗庄太郎も四畝一九歩を夫々適法に耕作することになり、爾来右土地は以上の人々により耕作が続けられていた。ところがその後、右土地は自作農創設特別措置法(自作法)に基き、昭和二二年一〇月二日を買収の時期として買収せられ、ついで各耕作者にそれぞれ売渡されることになつたが、その買受の申込手続を急速にしなければならないのに、当時右土地は公簿面の地番、面積通りに区分されて耕作されていないために各自の耕作面積を測量して土地の分割をする余裕がなかつた関係上、右耕作者間において、被告を代表者として一括して買受けることとして、その内部関係においては実質的に各耕作者がその耕作部分についてそれぞれ所有権を取得することとし、被告一人の名義でその買受の申込をし、またその通りの売渡手続がなされた。そして昭和二三年九月一七日被告は、その耕作面積を基準として各耕作者の所有となる面積につき政府に支払う買受代金を、原告田村は一反二畝一九歩(三七九坪)一、七六二円三五銭、同田中並びに雲川は七畝一一歩(二二一坪)一、〇三〇円同田口は五畝歩(一五〇坪)六九七円五〇銭、同三谷は四畝一〇歩(一三〇坪)六〇四円五〇銭、同三栗は四畝一九歩(一三九坪)六四六円三五銭と計算してその支払を求めたので、原告等は翌一八日これを被告に支払つた。こうして本件土地全部は被告名義に売渡され、その固定資産税も被告名義に課税されたので、原告等は昭和二四年度分より昭和二七年度分に至るまでの間、その所有面積に応じた税額を被告に支払つてきた。ところが、昭和二七年二月頃原告等は、被告より本件土地を府営住宅の建設用地として大阪府に売却するかどうかという相談を受けたので、近くの星ケ丘病院の土地の売買価格より高値でならば売却してもよいと話してその売却方を被告に一任しておいたところ、その後昭和二八年一二月一日になつて、被告は、本件土地の売却代金として原告田村に対し一二二、一〇〇円、同田中並びに雲川に対し各八一、四〇〇円、同田口に対し五五、五〇〇円、同三谷に対し二五、〇〇〇円、同三栗に対し三三、三〇〇円を持参交付し、その際原告等から昭和二八年度分固定資産税額を受取つて帰つた。しかし後で原告等が調査したところ、本件土地は同年九月頃大阪府に坪当り五五〇円の割合による金額で売却され、被告はその代金を受取つていることが判明した。したがつて被告は、原告等所有の土地を坪当り五五〇円で売却したにもかかわらず、原告等の委任の趣旨に反し前記の通りその一部を支払つたのみで残額を支払わない。よつて原告等は、被告に対し右残額である原告田村は八六、三五〇円、同田中並びに雲川は各四〇、一五〇円、同田口は二七、〇〇〇円、同三谷は四六、五〇〇円、同三栗は四三、一五〇円の各支払を求めるため本訴請求に及んだ」。

被告訴訟代理人は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求め、答弁として次の通り述べた。

「原告等主張の別紙物件表記載の土地がもと下田俊一が所有し現況畑地であり、原告等主張の人々が昭和一六年頃よりその一部分を耕作していたことは、原告等が主張する通りである。しかし右の耕作は、同年四月頃枚方製造所勤務小松少尉並びに同所工員齊藤義蔵の両名が地主下田俊一よりその土地を賃借し、さらにこれを転貸して原告等主張の人々のほか訴外平井武夫、大鹿チヨノほか数名に耕作を許していたものであり、原告等主張の耕作面積も事実に反する。そして昭和一八年五月頃には、右賃借人両名に代り、被告が下田俊一との間に賃貸借契約を結び、転借人との関係も承継して以後その賃料を支払つていた。かかる事情から同年六月頃右土地が陸軍高射砲予備陣地として陸軍に借上げられた際その耕作者等は無条件で耕作地を返還したが、終戦により下田俊一に返還されるや、昭和二〇年八月末頃再び被告が下田俊一よりこれを賃借し、更にその地租の納税代理をも委任された。そこで同年九月初旬、被告は原告田村、田口、三谷、訴外和田達雄、和田繁雄、平井武夫、大鹿チヨノの七名に対し、現場で耕作場所を指示して、その反別については明らかに定めずに、地主又は被告が返還を求めた場合は無条件で返還する約束でそれぞれ転貸し、昭和二二年五月頃原告三栗にも右同様の約束で僅少部分を転貸した。しかし原告田中、雲川に対しては転貸していない。原告田中が大鹿チヨノの耕作部分の約半分、原告雲川が平井武夫の耕作部分を耕作していることは、被告が自作法に基き本件土地の対価を政府に支払つた後にはじめて知つたのである。本件土地が自作法により買収されたことは、原告主張の通りであるが、被告が自作法に基き本件土地の買受申込をしたのは、昭和二二年四月頃その件で枚方市大字禁野大村多一郎方に関係者一同が集合した際、同市牧野地区農地委員会の委員から右土地の耕作者は、被告のほかすべて非農家または零細農家で買受の資格がないから、被告なら買受資格があると云われて、その申込手続をしたものである。そして昭和二三年一〇月二日被告はその対価を政府に支払い本件土地の所有権を取得したので、同月五日頃原告等にこの事実を通告したところ、はじめて原告等が各耕作部分を被告からさらに買受けたい旨の申込があつたので、被告は農地委員会の承認があれば売渡してもよいと承諾し、同月一〇日頃耕作者全員立会の上、耕作場所の交換分合を行い将来売渡すべき反別を、原告田村は一反二畝一九歩(三七九坪)、同田中並びに雲川は各七畝一〇歩(二二〇坪)、同田口は五畝歩(一五〇坪)、同三谷並びに三栗は各三畝歩(九〇坪)と定め、ついで原告等の要望で同月一五日までの間に将来売買代金に充当する約束で、原告田村から一、七六五円、同田中並びに雲川から一、〇三〇円、同田口から六〇〇円、同三谷並びに三栗から各四二〇円を受取つた。そして原告三谷を除き各原告から耕作面積に応じて(但し原告田村は一反一畝の割合で)計算した固定資産税相当額を昭和二四年度より昭和二八年度に至るまで受取つてきたが、それは右交換分合の際、原告等と被告との間に、被告が地主として原告等が土地の所有権を取得するまで、これを年貢として受取る約束が成立したことによるものである。また被告は、原告等主張の通り、本件土地を大阪府に対し坪当り五五〇円の割合の代金合計金一、三九八、六五〇円で売却し、昭和二八年一二月一日その代金の支払を受け、同日、原告等に対しその主張の金額を持参交付し、その際原告等より同年度分の固定資産税相当額を受取つて帰つた。これは、被告が昭和二七年九月二二日枚方市土木課で本件土地の売却方を頼まれてその協力を約し、同月二四日被告方において原告田村、田中、雲川及び訴外和田達雄の四名に対し右売却につき意見を求めたところ、その同意を得たので、本件土地の売却代金については、被告は所有者、原告等は耕作者とし、耕作者には売却に要する経費を差引いた残額の七割を交付したいが、その金額がいくらであれば満足するかと、尋ねたところ、右四名からその七割に相当する金額は坪当り最低三〇〇円としてそれより少しでも高く売つてもらいたいと頼まれ、結局右耕作者の手取額を坪当り最低三〇〇円とする約定ができ、原告田口及び三栗はその翌日、原告三谷は二週間後に、いずれもこれを異議なく、了承した。よつて被告は原告等に対し、坪当り五五〇円から右約束の必要経費二〇円を差引いた五三〇円の七割に相当する三七〇円宛を各耕作反別に乗じて算出した前記金額を離作補償として支払つたものである。これを要するに、本件土地について、さきに述べた原告等と被告間の農地委員会の承認を条件とする売買は、未だに知事の許可も市町村農地委員会の承認もないのであるから、これによつては原告等に所有権が帰属するいわれはなく、また、原告等主張のような原告等と被告との間に、被告が原被告等の代表者として買受申込をし、その内部関係においては実質的に各耕作部分について原告等及び被告が各所有権を取得する契約が仮りにあつたとしても、農地調整法ないし農地法の趣旨からいつて、右許可又は承認がない限り右契約は無効といわねばならず、原告等はこれによつて各その主張の土地の所有権を取得したものということはできない。被告が原告等に原告等主張の金員を支払つたのは被告が右に主張した関係から離作補償としてこれを支払つたのであり、原告等所有の土地を売つてやつた代金としてこれを支払つたのではないのであるから本件土地を大阪府に売却した代金になお残りがあるからといつてこれを原告等に支払う義務はない。従つて原告等の本訴請求に応ずることはできない」。

〈立証省略〉

理由

本件土地はもと訴外下田俊一が所有し、現況畑地であつたことは当事者間に争がない。成立に争のない甲第一号証の一ないし四甲第三号証の一、甲第四号証の一ないし四、乙第七号証、原告三栗庄太郎の供述により成立を認める甲第三号証の二に証人下田俊一、飯田乙五郎、村田真澄、大村多一郎、和田達雄の各証言、原告田村一芳、三栗庄太郎、田口カル、田中利雄各本人の供述並びに被告本人の供述の一部を総合すれば、右土地は、終戦前暫くの間は陸軍高射砲陣地に使用されたが、その以前は、昭和一六年頃以来被告、原告田村一芳、三谷八郎、田口カル、田中利雄の父のほか枚方製造所の工員ないし関係者が休閑地利用的に耕作し、当初地主に対する右土地の管理責任者として、同製造所勤務の小松少尉等がこれに当つていたが、後には被告が地主から頼まれてその任に当つていたので、戦後右土地が軍から地主に返還された後も被告が地主よりその管理並びに地租の納税代理の委任を受け、従前の耕作者は被告同意のもとにこれを開墾して耕作し、(被告はこの点に関し、被告が地主との間に賃貸借契約を締結し、各耕作者に転貸していたものであると主張するが、被告本人のこの点に関する供述は、証人下田俊一の証言に照し信用することができない)、昭和二二年八月頃被告は自作法にもとずいて右土地の買受の申込をした(被告は、この申込は昭和二二年四月であると主張するが、この点に関する同本人の供述も証人飯田乙五郎、村田真澄の各証言に照し採用できない)が、終戦直后の頃はこの土地の約半分の被告、残余部分を原告田村、田中、田口、三谷、訴外和田達雄、和田繁雄、平井利夫がそれぞれ耕作し、昭和二一年春頃からは原告三栗もその一部を耕作するに至つたところ、右土地は高射砲陣地に使用せられたために地形が一変し、終戦後は公簿面の地番面積の区分にしたがつて耕作されておらず、何番地を誰が耕作しているか判らない状態であつたので、右買受申込に際しては枚方町牧野地区農地委員会の委員飯田乙五郎の指導斡旋と当時の耕作者間の話合により被告が耕作者を代表して前記買受の申込をした(被告は、この話合があつたことを否認するが、被告本人の供述も右認定を左右するに足りず、他にこれを覆えすに足りる証拠がない)ものであり、かくして本件土地は全部被告に売渡されるに至つたものであるが、昭和二三年九月頃には原告、雲川も平井利夫に代つて耕作していたので、以上の経緯から同月一七日頃、被告は、右買受農地につき、后日農地委員会の承認を得て原告等に各耕作地の所有権移転の手続を為すべきことを約し、(被告は、右契約は買受の対価を支払つた後、昭和二三年一〇月六日頃になされたと主張するが、この点に関する同本人の供述も、甲第三号証の二に対比して信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠がない)、原告等の耕作部分の面積を、原告田村は一反二畝一九歩(三七九坪)、原告田中、雲川は各七畝一一歩(二二一坪)、原告田口は五畝歩(一五〇坪)、原告三谷は四畝一〇歩(一三〇坪)、原告三栗は四畝一九歩(一三九坪)と定め、その買受対価の計算をし、なお現地で土地の交換分合を行い、翌一八日頃原告等から右計算による代金として原告田村から一、七六二円三五銭、原告田中及び雲川からは各一、〇三〇円、原告田口から六九七円五〇銭、原告三谷から六〇四円五〇銭、原告三栗からは六四六円三五銭をそれぞれ受取つたこと、(被告は、右坪数及び受領金員の一部を争い、原告田中、雲川は各二二〇坪、原告三谷、三栗は各九〇坪であり、原告田村からの受領金員は一、七六五円、原告田口からのものは六〇〇円、原告三谷及び三栗からのものは各四二〇円であると主張し、被告本人もその旨の供述をする。しかし、原告田村からの受領金員が一、七六二円三五銭であることは前示甲第三号証の一によつて明かであるし、また右被告受領金員が一坪当り四円六五銭の割合であつたことは同号証記載の土地面積と金額とから算出して明かなところであり、この点から考え前示甲第三号証の二に「一坪四円六五銭ノ割」と記載したのは右と符節を合するものであつて、これに原告三栗本人の供述を総合すれば同号証のその他の部分も真実に合致するものと考えられ、従つて原告三栗への割当面積は四畝一九歩(一三九坪)、同原告より被告への交付金員は六四六円三五銭と認めるのが相当であり、また前示甲第四号証の一から算出すれば原告田中への割当面積は二二二坪余、甲第四号証の四から算出すれば原告雲川への割当面積は二二一坪余となるのであり、なお被告は原告三谷及び三栗への割当坪数は各九〇坪で同じ坪数であるというのに、後に認定のように、府への売却代金分配に当つては、別にその間差異を設くべき事情があるとも思えないのに、被告は原告三谷へは二五、〇〇〇円、原告三栗へは三三、三〇〇円を交付し、その間、八、三〇〇円の差をつけているのであつて、これ等の事実から考え、原告等に対する割当坪数及びこれに対する右受領金員に関する被告本人の供述は、当事者間に争いのない部分を除いては、これを信用することができないのであり、原告田村本人等の供述を信用するのを相当と認め前記のように認定するものである)、そして、以後原告等は右各割当部分の耕作を続けると共に、原告等は、各自の土地につき、その面積に応じて被告が計算した固定資産税相当額を昭和二四年度分以降昭和二七年度分に至るまでの間、各年度毎に被告に支払つてきたこと、(被告は、これを年貢の約で受取つたものであると主張するが、この点に関する同本人の供述も、同人みずから書いて請求したという甲第四号証の一ないし四には、「固定資産税反何円の割」と明記し、反対にこれを年貢として受取るものなる旨の記載は何もないのであり、これに原告田村、田中、三栗、田口の各供述及び前認定の本件土地買受の経緯とを照し合わせて考えると、右文言通りに解するのが相当であり、被告本人の右供述は信用できず、他にこの認定を覆えすに足りる証拠はない)、以上各事実を認めることができる。そして、成立に争のない乙第八号証に証人和田達雄の証言、原告田村、田中、三栗、田口の各供述及び被告本人の供述の一部を総合すれば、その後、大阪府が本件土地を府営住宅建設のため買収したいという話が起つたので、被告は原告等にこれを売却するか否かにつき相談したところ、原告等から坪当り三〇〇円以上で、できるだけ高値に売却してもらいたい旨を以て被告にその売却方を依頼したので、被告は昭和二八年九月二九日大阪府に対し、本件全土地を坪当り五五〇円総計一、三九八、六五〇円で売却し、同年一二月一日その代金全部を受領し、同日その売却代金の分配金として、その金額については当事者間に争のない、原告田村には一二二、一〇〇円、原告田中、雲川には各八一、四〇〇円、原告田口には五五、五〇〇円、原告三谷には二五、〇〇〇円、原告三栗には三三、三〇〇円の各金員を交付した事実が認められる。そして、被告は右原告等に交付した金額は府への売却代金坪五五〇円より必要経費二〇円を差引いた五三〇円の七割相当額であつて、原告等より右府への売却依頼を受けた際、右必要経費の控除は勿論、売却代金中の三割は被告が土地所有者としてこれを取得し、残余の七割を耕作者たる原告等に対し離作補償として交付すべき話合が当事者間に成立していたので、その話合の趣旨に従つて右各金額を原告等に交付したものであると説明する。そして前示乙第一乃至第六号証(原告等の右各金員受領証)には「離作保証料」としてこれを受取つた旨但し書を以て記載せられている。しかし右但し書の部分は原告等においてこれを記載したものではなく、右金員交付の際被告の方でその記載をして原告等側の署名押印を求めたに過ぎないものであること被告本人の供述からしても明かであり、これを原告田村、田中、田口、三栗各本人の供述からすれば原告等において右但し書を十分認識してこれを認めた上で右各受領証に署名押印をしたものとも認められないので、右乙各号証を以ては被告の前示主張事実を認めるに足らず、また右被告の主張に副う被告本人の供述も証人和田達雄の証言、原告田村、田中、田口、三栗各本人の供述からみてこれを信用することはできず、他に右事実を認めるに足る証拠もなく、なおその売却金を如何に分配すべきかについて他に何等か明示の約束のあつた事実もまた何等これを認むべき証拠はない。そうすれば前示府への本件土地売却に関する原被告等間の約定は、ただ右土地を坪三〇〇円以上の値段で、できるだけ高く売つて貰いたいというに過ぎないのであり、他にその売却金を如何に分配すべきかについては何等明示の約定はなかつたものと認むべきであるが、前認定の本件土地に関する原被告等間の関係から考え、その分配額は必要経費を控除した残額を各その坪数に応じ均分して分配するの趣旨であつたと認めるのが相当である。

ところで被告は右のような被告が原被告等の代表者として農地買受の申込をし、その内部関係では各耕作部分を実質的に所有するような契約は農地調整法ないし農地法の趣旨からいつて無効であると主張するのでこの点について考えてみる。なるほど本件原被告等間の関係は、本件土地が戦時中一時軍の高射砲陣地となつたことがあり、公簿面記載の各個の土地の区劃が現地上明確でなく、また原被告等の耕作部分が公簿面の土地とは関係なく雑然としていたため、これを早急に各耕作部分について各個に買受申込をすることができなかつた事情にあつたとはいえ、被告を代表者としてその単独名義で買受申込をし、しかもその買受代金は各自の耕作部分に割当ててその負担をし、買受名義人でない原告等(この原告等の中には非農家または零細農家というべき者が相当数あることは被告本人等の供述により明かである。)が一部宛にせよその耕作をしていたものであり、しかもその各耕作部分に応じた固定資産税を負担していたというのであるから、実質的には原告等も各その耕作部分につき買受人と同様に殆んど所有者としての土地支配をして来たものであつて、右のような関係を招来した原被告等間の契約は自作法、農地調整法、農地法の趣旨に違反し、無効なるやの疑いが濃厚である。しかし本件売却代金請求の原因である原被告等間の契約は、右原被告等間の関係を前提とするものとはいえ、右のような関係にある土地を他に売却して、その売買代金を分配することを内容とするものであつて、前記のような法律違背の関係の存続を計るものではなく、その関係の絶止と、その事後処理とを内容とするものである。そうすれば右の契約を以て前記の法律に違背する無効のものと解するの要はないものと考える。尤も右事後処理においても売却代金を耕作面積に応じて分配することになれば、従前の関係を形を変えて認めることとはなるのであるが、前記の法律が禁止せんとするのは右法律違背の関係自体の存続であつて、その形を変えた売却代金の分配までこれを禁止せんとするものとは考えられないから、本件土地の売却及びその売却代金の分配に関する契約は有効であり、原告等は被告に対し右契約上の義務履行を求め得るものといわなければならない。

そこで本件土地の売却代金(一坪五五〇円)をそれぞれ原告等の耕作面積に応じて算出すれば、原告田村のものは二〇八、四五〇円(三七九坪)、原告田中及び雲川のものは各一二一、五五〇円(二二一坪)、原告田口のものは八二、五〇〇円(一五〇坪)、原告三谷のものは七一、五〇〇円(一三〇坪)、原告三栗のものは七六、四五〇円(一三九坪)となるのであり、この売却に要する必要経費については、被告は政府への納付金等が必要な旨主張するが、これらを現実被告において既に支出したことは何等これを認むべき証拠がないので、現在の状態においては一応被告は原告等に対し、右各原告等耕作土地の売却代金から前示既払分を控除した残額である、原告田村に対しては八六、三五〇円、原告田中及び雲川に対しては各四〇、一五〇円、原告田口に対しては二七、〇〇〇円、原告三谷に対しては四六、五〇〇円、原告三栗に対しては四三、一五〇円を各支払うべき義務があること明かである。

よつて原告等の本訴請求を全部正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文の通り判決する。

(裁判官 山下朝一 鈴木敏夫 萩野寿雄)

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